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江戸時代、「塩の道」と呼ばれた小名木(おなぎ)川。その川沿いはいま、どうなっているのだろう。
旧中川と合流する地点から大横川と交差する地点まで、川沿いに遊歩道が整備されている。
「親水空間」という言葉もすっかりおなじみになったが、ここでも遊歩道と川の距離はかなり近い。ただし、一部の場所を除けば遊歩道と川は柵で厳然と区分けされていて、足元の水に触ることはできない。責任を問われたくない人たちが大好きな「安全・安心」。。。
旧中川から清澄白河方向に歩いていくと、まもなく「塩の道橋」が現れる。遊歩道整備は、江戸時代を想起させる石垣風になっているのだが、この橋も「小名木川景観整備との調和を図る外観として、木を感じさせるデザイン」(江東区のHP)となっている、らしい。色は木っぽい、かな。
興味深かったのは、途中にある「小名木川旧護岸」。
小名木川沿いは、いわゆる「ゼロメートル地帯」であり、工業化に伴う急速な地盤沈下などもあって、対処療法的に何度も護岸がかさ上げされた。
現在、小名木川の水位は干潮時東京湾平均水位からマイナス1mに設定されているが、そこに至るまでの護岸の歴史の断片がここに保存されている。
2019年の豪雨災害時、東京は多摩川の堤防決壊による被害を受けたが、ゼロメートル地帯を含む東部地域では大きな被害は免れた。それも、延々と続けていた、そして今も続いている治水対策の成果なのだと、この旧護岸を見て改めて思う。
小名木川には17の橋が架かっている。
印象としては墨田川に近い側の橋が古く、東に進むにしたがって新しくなる。わずか5km足らずでも、市街地に近いほうから橋が整備されていったことがわかる。
新しい橋は「塩の道橋」のようにほとんどがいわゆる桁橋だ。
橋の種類については、あらためてまとめたいが、簡単にいうと向こう岸まで丸太を2本渡し、丸太の上に板を並べて渡れるようにしたのが桁橋。この丸太を「桁(けた)」と呼ぶ。もっとも原初的な構造の橋だ。
横十間川より東側は川幅も狭いので、桁橋で十分なのだろう。そんななか異彩を放っているのが、鉄道ファンにはおなじみ(らしい)の鉄骨トラス橋「小名木川橋梁」。
現在は、小岩駅と越中島貨物駅を結ぶJR東日本の総武本線の鉄道路線、つまり貨物線の線路橋である。
竣工は1929(昭和4)年。
設計は鉄道省。
開通当時は「小名木川駅」(2000年に廃止)があり、列車で運んだ荷を船に積み替える結節点だったという。
ちなみに現在でも一日2往復、ディーゼル車が走っているらしい。運が良ければ川を渡る車両を見ることができるかもしれない。
トラス橋の小名木川橋梁を過ぎると、やがて小名木川は横十間川と交差する。人工河川らしくきれいな十字を描く川の交差点には、ユニークなX型の橋・小名木川クローバー橋が架かっている。
架橋は1994(平成6)年。
川を挟んで向かい合う4つの地区(猿江・大島・北砂・扇橋)を結ぶことから「四つ葉のクローバー」の連想で命名されたんだろう。車は通れない、歩行者・自転車専用橋で、交差部分は石畳で四つ葉のクローバーがかたどられている。でも、知っていないとその場ではたぶんわからない。グーグルアースで見ると、なんとなくそう見える。
さらに西へ進むとトラス橋である小松橋(1930年)が見えてきて、その先に何やらガラス張りの箱が宙に浮いている。近づいてみるとこれが扇橋閘門。
現施設の竣工は2019年。
設計は東京建設コンサルタント。
小名木川はここで最大3m水位を変え、川幅も広がって川の様相が一変する。
扇橋閘門自体がつくられたのは1976(昭和51)年だが、耐震補強工事に伴い上屋も建て替えたのだろう。
訪れたときには、まだ周辺の外構工事中で、あまり近づくことはできなかった。
工事は2020年半ばまでの予定だから、その整備が終れば真新しい建築と珍しい閘門機構が楽しめるようになるだろう。
小名木川クローバー橋。これは箱状の桁をもつ箱桁橋。構造的には珍しい、らしい
Google earthで見たところ。かすかに中央のクローバーがわかる(©Google)
扇橋閘門。手前が隅田川側になり、小名木川東側の水面より3m水位が高い。この水位差を奥に見える閘門とのあいだの閘室(こうしつ)で調整する
閘門脇に立つ説明板に描かれた川と陸の断面図。横十間川、旧中川は小名木川東側と同様、水位は―1m。江東三角地帯東側の地盤がいかに低いかがよくわかる
投稿者 ichikawa : 2020年2月26日 13:37 ツイート