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No: 001 川の「関所」から現代の「堰」所へ

鄙びた田舎町だった江戸を、家康は百万人が暮らす水の都に変えた。

その過程で、行徳の塩を安全に早く運ぶため、現在の隅田川と旧中川の間を小名木四郎兵衛に開削させた。これが小名木(おなぎ)川。このことから小名木川は「塩の道」と呼ばれた。現在の地下鉄の駅名でいえば、都営新宿線・東大島駅近くから東京メトロ・清澄白河駅周辺までおよそ5キロ弱である。

町の整備が進み、河川を使った流通が盛んになると、小名木川は塩のみならず多くの人や物資を運ぶ大動脈として機能するようになる。

陸上で関所が置かれたように、海上・河川交通が盛んになると河川の要衝にもさまざまな監視を行う船番所が置かれた。旧中川と小名木川が交わるところに置かれたのが「中川番所」。その歴史をわかりやすく教えてくれそうなのが、前から気になっていた「中川船番所資料館」で、今回はまずこちらから。

中川船番所資料館は、東大島駅前にある大島小松川公園わんさか広場に登ると、公園の向こう側に見える。

常設展示室は3階。中川番所の再現ジオラマや「江戸から東京へ」と題した展示で、水運の歴史を学べる。東から来て江戸市中に入ろうとする町民(農民?)と、それを検査するお役人のやり取りを再現した録音の音声が定期的に流れるのだが、一隻一隻こんな交渉をしてたのかなぁ。

陸上の関所は並んで待つのがなんとなくイメージできるが、川の関所でも船が順番待ちしていたんだろうか。当時はもっと川幅があったのか。空想が広がる。

なおジオラマには、発掘調査で発見された実際の石垣も使われているらしいので、マニアックに探してみるのも楽しい。

資料館の前には、「旧中川・川の駅」がある。これは「新たな水辺のにぎわい拠点として」江東区が整備したもので、言ってみれば現代の船着き場ということか。災害時の防災拠点としても機能するらしい。「水陸両用バス スカイダック東京 とうきょうスカイツリーコース」の一部となっていて、陸上を走ってきたバスがスロープからそのまま川へ「スプラッシュ!」するのが一番派手なアトラクションのようだ。

R0039444-2.jpg江東区中川船番所資料館。「中川番所」のあったすぐ近くに建てられている

R0039456-2.jpg3階展示室のジオラマ。手前に見える石垣には「本物」も混じっている

R0039470-2.jpg資料館前の「旧中川・川の駅」。訪れたのが冬場だったので人影もほとんどなかったが、暖かくなれば大勢の人でにぎわうのだろう

旧中川・川の駅から小名木川方向に向かったところが「中川番所跡」で、そのまま小名木川沿いに歩くことができるのだが、せっかくなので一旦戻り、旧中川沿いに立つパラマウントベッドテクニカルセンターを眺めつつ、新中川大橋を渡って対岸にある「風の広場」へ。

「風の広場」は、「大島小松川公園」という、旧中川と荒川のあいだにある巨大な公園の一部。現代アートも展示されている。

広場の中ほどにあるのは「旧小松川閘門」。

閘門は「こうもん」と読む。

こうもんというと、お尻の穴か水戸黄門くらいしか思い浮かばなかったのだが、一言で説明すると船のエレベーター。水位が異なる二つの河川の間に堰を二つ設け、この堰の中央に船を入れて水位を調整する。

有名なパナマ運河と同じ仕組み。

かつて周辺には、この小松川閘門のほかに小名木川閘門、船堀閘門という三つの閘門がつくられていた。旧中川側に二つ(小名木川閘門と小松川閘門)、新中川(現在の中川)側に船堀閘門。

これは、構想から20年近くの歳月を費やした荒川放水路(現在の荒川)が1930(昭和5年)に完成したことにより、既存川との水位調整が必要とされたためだ。

したがって小松川閘門の竣工も同じ1930年。

設計は内務省土木局東京土木出張所荒川下流改修事務所。

1976(昭和51)年に廃止されたようだが、水位の変化などで閘門自体が不要になったのかもしれない。その後、一時化学工場などが建っていたらしいが、1997年に大島小松川公園の一部として風の広場がオープンしている。

というのが概略で、現地では特に疑問も持たず、「移築して保存している」と思い込んでいたのだけれど、後から調べてみるとどうやら移築ではないらしい。現地の説明書きにも「全体の約2/3程度が土の中に埋まっている」とあったが、閘門の周辺に大規模な土盛りをして公園をつくったとは考えもしなかった。まさに「生き埋め」状態なのか。

建築では考えられないが、土木遺産ではこういう保存(?)もままあるのかな。

R0039520-2.jpg旧中川沿いのパラマウントベッド テクニカルセンター。2006年。清水建設。

R0039506.jpg安藤泉の作品「ムー大陸より

R0039497.jpg旧小松川閘門。ヨーロッパの城壁を思わせるような堂々たるデザイン。頭頂部にひょんひょん伸びる雑草がちょっと悲しい。いろいろなサイトで紹介されているが、ほぼすべて雑草付きなので長年この状態なんだろう

土盛りされた風の広場を降りて、少し河口側にあるのが「荒川ロックゲート」。これが「堰」所となる現代の閘門だ。

旧中川と荒川が合流する地点に設けられている。

小松川閘門が用済みになったように、周辺の閘門は一時期すべて廃止された。

ところが1995年の阪神・淡路大震災で水上輸送の重要性が見直され、東京の大災害に備えて新しくつくられたのがこれ。2005年竣工という。

緊急時(災害時)の水上輸送が前提だが、クルーズなどで通行することも可能で、屋形船などで体験することもできるようだ。

ちなみにゲートには二つとも外階段があって、日中は開放されており、誰でも一番上まで登ることができる。荒川側のゲートの最上部から見渡す風景は絶景である。

R0039546.jpg荒川ロックゲート。地上5階建てほどの高さまで、階段で登ることができる

R0039554.jpg荒川側のゲートから旧中川側のゲートを見る。中央に見える水の部分で水位を調整する

received_3104844959529149.jpgゲートの最上部から荒川河口方向を見る。向こう岸に見えるのは首都高中央環状線。道路のさらに向こう側には中川(新中川)が流れている

投稿者 ichikawa : 2020年1月30日 22:10