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2010年7月23日

『家』から失われたもの達

先日、ジブリの『借りぐらしのアリエッティー』を映画館で見ました。

ジブリの作品にしては、かなりあっさりしていました。
監督が代わったからでしょうか。

内容はごく単純で、古い民家の床下に住む小人の話です。
普段は人間に見られないようひっそりと床下に住んでいます。
ただ住人には、その気配が少しだけ伝わっているようでした。
おじいさんの代に、ちょっと見かけたみたいなレベルですが。
ただし、純粋な子供には見えるのだが、大人には見えないというお話しはいつものパターンです。


要するに『家』には、人間とともに一緒に生活していた、隠れた存在があったという話しです。
ジブリで言えば、『隣のトトロ』、『千と千尋の神隠し』もほぼ同じテーマですね。


しかし、私のように家の設計を生業としているものからすると、ある意味でとても感じるものがあります。


現代の住宅のイメージは、透明感で溢れ、白っぽい、影がない明るい家が代表的であり、求められたいます。
しかし、この住宅には、トトロはもちろんのこと、アリエッティーも住むことはないでしょう。


そういった意味で言えば、『呪怨』も家の影の部分を強調した映画というふうにも捉えられますよね。
仏壇の裏側とか、2階の奥の部屋とか、押入の中は、家の裏の部分であり、そこには魔物が住んでいました。
だから、子供の頃家で一人で留守番をするのは、少しだけ怖かった記憶があります。


実は私は、随分昔ですが、座敷童を体験しています。
まだ20代で一人暮らしをしていた時ですが、ある夜、急に金縛りになり、座敷童が背中の上で遊んでいました。
うつ伏せで寝ていたので、見ることは出来なかったのですが、リアリティをもって座敷童を感じました。

その後は、その部屋で彼と遭遇したことはなかったのですが、常にどこか彼の気配を感じていました。
悪い意味ではなく、一緒に共存しているような感覚でした。


また、これらのような生き物?ではないのですが、『おくりびと』という映画は、人間の死が『家』で行われなくなったことに気づかされた映画でした。
死は病院で迎えるもので良いかということも、現代の大きな問題の一つですね。


今『家』から、様々なものや、事が失われ、薄っぺらな箱となりつつあります。
というより、現代という時代は、それを目指してきたと言っても良いかもしれません。


しかし、設計者として、常に家づくりに関わっていますが、そういう方向性で本当に良いのか、考えるべき時代へ入りつつあるような予感がします。

単なるデザインだけでは、解決が難しい、しかし大切なことがそこにはあるような気がします。


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投稿者 ooto : 2010年7月23日 16:58