建築の板金工事は、文字通り金属板を加工して屋根や壁、樋などを仕上げていく工事である。
寺社の銅板屋根、住宅に関していえば、ガルバリウム鋼板による屋根や外壁がイメージしやすい。
かつて住宅に使われる鋼板といえば溶融亜鉛メッキ鋼板、いわゆる「トタン板」だった。
だが、いつからか錆で赤茶けたトタン板は安普請の代名詞となり、新築の住宅で使用される機会は減っていく。
そんな状況を変えたのが耐久性に優れ、カラーバリエーションがあって意匠性にもたけたガルバリウム鋼板だ。
20年ほど前の建築家ブームの際には、「建築家住宅のサイン」のように扱われ、安普請の象徴だった鋼板が「かっこいい」建材に変わった。
そんな鋼板の工事を担うのが、板金職人たちである。
上島貞之さんは、この道40年近い大ベテラン。
大系舎との関係も長く、これまでいくつもの現場を手掛けている。
生まれも育ちも浅草近辺で、祖父も父も板金職人だったという江戸っ子の3代目だ。
なんとなく、祖父や父の仕事に憧れた幼少期、厳しい修業が続いた青年期を経ていまがあるのだろうと予想したのだが、その経歴は驚くようなものだった。
「音楽が嫌いだったんですよ。それで親から無理やり近くの楽器屋さんにトランペットを習いに行かされたんです」
それが小学校5年生のとき。
上島さんによれば、ご両親は特に音楽に造詣が深かったということもなかったというから、親にしてみれば、俗に言う情操教育の一環だったのかもしれない。
ところが習い始めたトランペットに、本人がはまる。
高校時代には、先生から「音大を狙ってみては」というレベルに達した。
その気になった上島さんは、「現役で受からなければあきらめる」という条件で親を説き伏せ武蔵野音楽大学を受験。見事合格する。
本格的に音楽の勉強を始めた上島さんは、学生時代から先輩に声をかけられ、あるいは一度演奏した先から乞われて、バンドのトランぺッターとして活躍。卒業後、テレビへの出演やレコーディングなど、華々しい世界へと足を踏み入れていった。
しかし、そんな矢先に父親を病魔が襲う。胃がんだった。
祖父、父と受け継がれてきた家業を、このまま廃業にしてしまっていいのか。
悩んだ末に上島さんは、父の仕事を引き継ぐことを決意する。
家業を継ぐ決意をした上島さんだったが、仕事を教えてくれる父親はすでに病床。幼いころから見ていた作業とはいえ、いきなり一人でできるような仕事ではない。
そこで祖父の一番弟子だった人に助けを求め、基本的な作業を教わることになる。
ただ「運はよかった」(上島さん)。
ちょうど引き継いだ父の仕事は、ハウスメーカーの新築工事の板金作業。
雨樋や外壁の水切り、小さな庇の水切りといった、比較的パターン化されたものが多く、要領を覚えればあとはその繰り返しとなり、本格的に板金の世界に入ったばかりの上島さんにとって、格好の場数を踏む機会となった。
真面目な仕事ぶりが評価され、やがてメーカーの担当者から銅板工事の誘いを受ける。
そしてベテランの職人たちも所属する銅板研究会に通って、わからないことを教わっては実践。その技術を磨いた。
銅板を焼いては叩く「しぼり」などの工程は、地味で根気がいる。手間のかかる作業は、時短と合理性の追求に奔走する現代のものづくりの現場では、異端にも見える。
だからこそ、と言うべきか。需要も手掛ける職人たちも徐々に少なくなるなかで、技術の担い手は貴重だ。
しかし、上島さんはそれを絶滅危惧種的な、特殊な仕事とは捉えていない。
「昔ながらの仕事にも対応できるようにしておきたいんです」と語る様子は飄々として見える。
「高級とか簡単だとか、仕事に分け隔てはしません。板金屋はなんでもできなきゃいけない。建物の化粧をしながら雨を漏らさないようにする基本は同じです」
練馬の現場。道路側はガルバリウム鋼板の一文字葺き、裏は同じく小波板の縦張り。
訪れたとき、ちょうど一文字葺きの最中だった。
階段付きの足場は、幅50センチにも満たないが、作業環境としては「まだ恵まれているほう」。
都心の狭小地では、もっと厳しい状況も日常茶飯事なのだろう。
そんな足場を軽やかに飛び回る上島さんの姿があった。
仲間と協力して、端部を加工した鋼板を受け渡し、所定の位置でかみ合わせ、止め付け、叩いて絞めていく。
この作業で一番大切なのは? の問いには「墨出し」の答え。
「墨出しを間違えず、墨通りに貼ることができればうまくいきます。墨を打ち間違えると狂ったままですべてがうまくいきません」
墨出しとは、割付けなどをあらかじめ下地に記しておくこと。事前に綿密な計算を行って「墨出し」し、作業はこの「墨」に従って進められる。
実際に鋼板を貼り始める前の準備が重要、ということだ。
ガルバリウム鋼板は耐久性・耐候性に優れているので、しっかり施工されたものであれば住まい手がメンテナンスなどで手を入れる必要はほぼないそうだ。もちろん経年で劣化はするが、それは設計者や施工者の判断を待てばいい。むしろ大切なのは屋根や建物のかたちだ。
どれほど施工がよくても、かたち自体が雨水を逃がさず溜めてしまうと、どんな高耐久の素材でも傷みは早い。
「私たち施工側の都合でデザインを変えてしまうことはありません。デザイン意図を汲み取って最良の納まりを考えるのがこちらの仕事です。ですから、こちらが『水漏れの危険がある』と思うような部分については質疑に答えてほしい」
これは設計者へのお願いだ。
設計意図を聞き、意匠性を損なわないと思う範囲で最良の納まりを提案する。基本は雨水をきちんと切るようにすること。設計者とともに、妥協点を探る。その繰り返しが大切になる。
上島さんの手にかかると、銅板などはまさに折り紙のように自在にかたちを変える。そして常に見据えているのは水切れ。
「雨が降る限り、この仕事の需要はなくなりません」
古くから続く水との戦いに終わりはない。
投稿者 ichikawa : 2020年4月27日 11:06 ツイート