不定期日記





2002/10/31:地上の杭

杭を見たことがありますか?

杭は、建設地の地盤が悪い時に、建物の下につくられるもので、私たちは普通は目にすることはありません。

しかし、通勤途中で、その杭を目の当たりにして驚きました。ただし正確には、杭ではなく、柱状改良と言われるもので、地盤改良の一種です。

その場所は、写真のように円柱状の杭が地上に、並んで見えるのです。直径約2〜3メートルで、高さは10メートルくらい。その異様な外観は、まるでエジプトの神殿のような迫力があります。



注意深く観察すると、道路際の擁壁を、新しく作り直すためにつくられたもののようです。一度つくった杭の周りの土を、ブルトーザーで掘っているのです。現地は高低差があり、そのために杭が露出しました。

良く見ると、オーガーという大きなドリル状の機械で、円形に掘られた形状に、セメントが注入された形状がそのまま見える、つまり杭の形がそのまま見えるのは少々驚きです。つまり石膏でお面などをつくった雄雌の原理と同じです。でも上手くコンクリートが入っていますね。

さて、以前こんなことをイメージしました。
自然災害か核戦争か分かりませんが、東京が破滅し、地上の建物や構築物は無くなってしまい捨て去られてしまう。そして、1億年くらい経ってから、発掘されたときに、堆積物の下から異様な柱状の構築物が出てきた、これは一体何であり、どんな文明であったのか、後生の人(宇宙人?)はどのように考えるか興味を持ちました。

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2002/10/24:目黒川

中目黒の事務所のすぐそばを、目黒川が流れています。
毎朝通勤途中に、橋を渡り川を眺めるのが日課になっています。

先日、良く川を見ると、無数の小魚が泳いでいるのが見え、大変驚きました。多分、ボラの子供だと思いますが、目黒川は、数年前までは汚染がひどく、生き物がいることなど考えられないような川でした。そう言えば、最近水鳥が川を泳いでいるのをよく見かけます。きっと小魚を餌にしているのでしょう。

十年以上前、事務所が五反田の目黒川近くにあるとき、同室の友人はあまりの悪臭に、区役所にクレームの電話をしたそうです。その時、カフカの城のような役所の対応(たらい回し)に、怒っていたのを思い出しました。まあ、区役所も困っていたのでしょうけれど。



そう言えば、最近海釣りに凝っているのですが、目黒川の河口の水門近くの京浜運河は、スズキ釣りのポイントだと聞いています。きっと、スズキの餌になる、小魚が多いのでしょう。それなら、ひょっとして目黒川にタマちゃんも突然現れるかもしれませんね。(笑)

海や川がこんなに綺麗になるのは、全く予想が出来ませんでした。もう30年以上前、私が少年の頃、海釣りに良く出かけましたが、今ほど魚はいなかった思います。そのうち、目黒川で釣り竿を垂らしている人を見つけたら、私かもしれませんので、お気軽に声を掛けて下さい。

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2002/10/17:地鎮祭いろいろ

先日、少し変わった地鎮祭を経験しました。
FT邸の工事を御願いした小山工務店が考えた地鎮祭の方法です。

地鎮祭の当日、建築の計画地ではなく、付近の神社へ現地の土を持って出向きます。神様に捧げる供物などは、通常通り用意します。

そして、定刻に関係者が揃ったら、神社の拝殿の中で、神主によって、儀式が執り行われます。全行程15分くらいで少し短め。儀式が終了したら、お祓いしてもらった土を現地に持っていき、鳶と工務店の社長によって、敷地を清めてもらいました。
以上が全行程です。



地鎮祭は、地の神に供物を捧げ、建築の許しを請い、そして工事中の安全を祈願するものです。職人さんは、地鎮祭がない場合にも(例えば解体工事)、工事前に塩を撒いたりして清めてから工事にとりかかります。

通常は現地に4本の竹で結界を造り、神主に出向いてもらい、儀式が行われます。しかし、大吉などの良い日取りが優先されるため、雨天でも決行されることが多く、雨天の時などは、当日のテントの用意など大変です。以前にも何度か、雨天の地鎮祭を経験しましたが、泥だらけになり大変だったことがありました。


神社に出向く方法は、なるほど天気に左右されず、儀式が執り行える良い方法だと感心してしまいました。こういった儀式も、きっと古来から不動のものではなく、時代に合わせて、柔軟に考えて行けば、いろんな方法があるのでしょう。今回は、これを考えた小山工務店に関心させられました。

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2002/10/08:住宅プロデュース会社

最近の住宅ブームを反映してか、住宅のジャンルにも”プロデュース”を行う会社が増えてきたようです。施主と建築家の中間に入り、舵取りや仲裁を行うとのこと。施主の安心材料の一つと言うことらしい。

本来プロデュースとは、複雑化する大規模な建築やまちづくりの、企画から建築実現までの構想づくりや、予算管理を、発注者の立場で行う仕事のことです。ハードのデザイナーである建築家とは、役割や責任を分担したほうが、全体の効率が良いなどの理由からプロデューサーという職業が出てきたようである。現在の渋谷の繁栄の元を築いた浜野安宏氏のような人を言う。

しかし、住宅というジャンル、それも個人住宅のジャンルで、プロデューサーが本当に必要なのでしょうか?私には、少々疑問に思えます。

以前、ある住宅プロデュース会社から、登録建築家への依頼が来ましたが、考えた末にお断りしました。その住宅プロデュース会社を通して、お見合いが成立した場合は、設計料のかなりを手数料として支払う必要があります。また、その会社の責任者の言葉からは、建築家を商品として扱うようなビジネスマンの態度が見えました。


確かに、施主としては家づくりをこれから控えて、建築家を選ぶことは至難の業だと思います。また雑誌やインターネットを使って、自分で探した情報を手掛かりに、建築家にたどり着くためには、多大なエネルギーが必要です。しかし、自分を信じて、このハードルを抜け出てはじめて、これから控える数々の関門をクリアーできるのだと思います。建築家との家づくりとは、そんなものだと考えています。つまり、自分の目を信じることが出来る人が、建築家と共同して家づくりを行えるのだと言うこと。

もし、不安で、自信がなく、建築家として誰を選んで良いかを分からないから、住宅プロデュース会社を通せば、自分と相性が合う建築家を選べるのでしょうか?冷静に考えると、おかしなことが多い。おそらく、建築家を選ぶことに不安を持つ人は、建築家との家づくりに、適していないのだと思う。

住宅ブームが火を付けて、だれでも建築家と家づくりをするのがベストという風潮もあると思います。しかし住宅プロデュース会社をとおして、建築家を選んだからといって何を保証してくれるというのでしょか?誤解を恐れずに言えば、建築家と家づくりをするのが合っていない人も多いことも事実です。

建築家との家づくりは、人と人が、直接コミュニケーションを行い、はじめて成立することだと思います。そのためには、最小のメンバーで、密なコミュニケーションを行い、無駄なエネルギーを使わないことが、最大の効率を生むのだと考えています。

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2002/10/01:インド旅行


30代の頃に、良くインド・ネパールへ旅行しました。
はじめての海外旅行がネパールで、それも一人旅。いわゆるパッケージ旅行ではなかったので、現地での交通や宿泊先の確保で手間取ったことを覚えています。
いわゆるトラベル英会話もろくに出来なかったけれど、何とかコミュニケーションは可能でした。ただし、帰国後これではと思い英会話を猛烈に勉強した思い出があります。最近は、自由な時間もなかなかとれないので、旅行とは随分ご無沙汰です。

旅行のスタイルは、ともかく町を歩き回ること。マーケット、住宅地など時間があれば、赴くままに歩き回ります。名所旧跡は程々に。いわゆる名建築を回るということは、ほとんどしません。町の雑踏を歩くと、臭い、声、など町のリズムみたいなものを感じるので、それが楽しみです。マーケットを歩くと、いろんな珍しい日用品、食品に出会います。もちろん、美味しいモノを食べるのが一番の楽しみです。美味しくて、安い食べ物屋を探すコツは、地元の人が多い店というのは、世界共通の法則ですね。

シャイなチャイ屋


いろいろインターネット巡りをしていて、たまたますてきなHPを見つけました。
http://www.ratna-devi.com/sansara/
こういうの見ると、アジア旅行の血が騒ぎます。
偶然、出会ったページなので、きっと他にもいっぱい楽しいページはあると思います。

ジャイサルメール

現在では、インターネットが普及し、おそらく旅行中の本国へのコミュニケーションも簡単になったでしょうね。その分、当地での異国情緒は減ったのかな・・・・
たった十数年前ですが、ネパールなどに一度入ってしまうと、容易に国際電話が使えませんでした。首都のカトマンドゥの中央郵便局(だったか?)で、30分待ちくらいで、やっと日本に連絡が取れました。その分、空間的にも遠いところに来ている実感を受けました。
インターネットを利用して、家づくりを思考錯誤していますが、インターネットの時代には、きっと旅行の方法や、時間・空間の感覚も激変していることでしょう。

また新たに行って見たい場所もありますが、可能かな・・・・

そう言えば、HPの『私の好きな町』の更新をしようという気になってきました。良い写真、こうご期待を。

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