日経アーキテクチャー創刊750号記念・設計コンペより(2003/09)
日経アーキテクチャーが創刊750号を記念して、設計コンペを行いました。(詳細は日経サイト参照)
審査委員は、建築家の内藤廣氏で、テーマは「どこにでもある街のどこにもない場所」でした。
今回のテーマ設定は、非常に今日的であり、私たちの日頃の活動、つまりインターネットを活用した住宅づくりと共鳴するところがあり、私たちの設計したFT-HOUSEを題材に、このコンペに参加しました。
結果は、佳作入選で、内藤氏には一定の評価をえたということで、参加した意味がありました。
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内藤氏の選評:
見方によっては、非常に深い見方が出来る。物と事というのが渾然一体となって現実というものがある。
建築をつくるプロセスでも、インターネットを使って物と事が網の目のようになって出来ているのが現実だと。
仮にそれがどこにでもあるような風景をつくり出したとしても、実は均質ではないのではないかということだ。
出来上がったものは、均質に見えるかもしれないが、人間の行為や出来事を重ね合わせると、実は均質じゃない。
このような事が言いたいのだと思う。 |
”どこにでもある街に、”
インターネットを使い、彼らにとっての
”どこにもない場所”をつくる。
○一般的に、住宅を真剣に考えるクライアントほど、住宅に対してどのように向き合うべきか、また何を手がかりに、住宅を考えたらよいか分からなくなるのが真実のようだ。このような住宅に対するリアリティーが希薄で、宙吊りのような感覚が、”どこにもいないわたし”を感じさせる一因をつくりだしていないか。
○本来、住宅とは、”人の基本的な営み”である。作られた姿としての”モノ”とともに、それが作られ、住まわれていくプロセスという時間軸の側面、すなわち”コト”が切り離せない多様な総合体である。しかし、住宅の商品化や工業化が進み、また建築家自身の専門化や商品化が進んだ結果、人は住宅を、経済や技術、美学という単一の物差しでしか測れなくなったようだ。住宅という概念の、差別化、専門化が加速され、掘り下げられた結果、その姿が断片化、一面化してしまったようだ。クライアントたちは、偏った情報だと気づき、ふと目を離すとその全体像が漠然として見えない、というようなジレンマに陥っているのではないか。”木を見て森を見ず”のような状態。
○今こそ住宅に”多様で豊かな全体性”を取り戻す必要がある。幸い建築家は、建築プロセス全体を鳥瞰出来る立場に位置している。その意味で建築家は住宅に”全体性”を取り戻すためのキーパースンだ。
そのためには、住宅という”モノ”だけでなく、プロセスとしての”コト”のデザインを包含する新たな設計手法を構築する必要がある。そのための有効なツールがインターネットというメディアであると考える。
○インターネットというメディアは、
1,多様な人や情報をネットワークし、コントロールできる”コミュニケーション・ツール”である。
2,建築家が自由に、直接的、即時的に表現できる”自前のメディア”である。
3,建築家が、多様な情報を統合化し、それを表現出来る”デザイン・ツール”である。
○現代は、”モノ”と”コト”の境界が曖昧になり、”情報”もコンクリートや木材と同様にデザインされるべき重要な素材である。従ってインターネットの特性を住宅設計に応用すれば、建築家は住宅における”モノ”の側面だけではない、建築プロセスなどの”コト”の側面を含んだ総合的なデザインが可能になると思う。
○このようなインターネットを使った一連の住宅設計手法を経て、クライアントたちは、住宅に対して一面的ではない、多様で豊かな表情を見ることができるはずだ。そしてその視界の向こう側に、クライアントたちは”彼らにとってどこにもない場所”を見つけることができるはずである。つまり住宅をつくるプロセスの中で、インターネットを使った”表現する=物語る”というデザイン行為が、住宅の全体像、目指すための重要な羅針盤になるのではないかと思う。そして”モノ”のデザインと、”コト”のデザインの相乗効果が、住宅設計のエネルギーを加速すると思う。

多様で、豊かな住宅の表情の向こう側に、彼らにとっての”どこにもない場所”が見える。



FT-HOUSEの詳しいレポートは、オンライン設計室no.13のFT−houseをご覧下さい。
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